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生きていれば111歳。東京都足立区男性では最高齢とされてきた方が、実は30年前に亡くなっていて、その男性の遺体が自分の部屋でミイラ化されて発見された、という報道はほんとうに驚きました。
この事件がきっかけとなり、各都道府県ではいっせいに「高齢者の所在確認調査」が行われるという思わぬ展開となっていますが、所在不明の100歳以上の高齢者の数は日増しに増えて全国で100人に達する勢いです。
その足立区の男性が生前、最後に部屋に籠もる時、「自分は即身成仏したいから、絶対に部屋を開けるな。」と家族にきつく言い渡したそうです。家族は「2年目くらいにこっそりと部屋を覗いたら、白骨化した頭が見えた。」とも証言してますが、とにかく男 性の言いつけを守り、こんな結果を招いたようです。この報道をよりいっそう「奇妙で異様な感じ」としているキーワードが「即身成仏」という言葉ではないでしょうか。
実は、初めて全国ニュースでこの事件?が報道されるその日の昼間、西生寺にテレビ局から電話がきて、くわしい説明もないまま「ニュースに使いたいので、ホームページにある西生寺さまの即身仏の画像を使わせてもらえませんか。」と依頼があったのです。
どういう内容に弘智さまの画像が使用されるのかもイマイチよく判らないし、急なことだったので「うちの弘智法印即身仏は、全国に大勢の御信者さんがいて、信仰の対象となっている仏さまだから、ちょっと遠慮させていただきます。」とお断りしたのです。
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そして夕方、「足立区に住む111歳の足立区最高齢とされた男性のミイラ化された遺体を発見、男性は即身成仏したいと生前家族に言っていたようだ。」というニュースを見て「あっ、これか!」と察しがついたのでした。その後家族が男性の年金を「不正受給」していた事などが発覚し、「やっぱり弘智さまの写真を許可しなくてよかったねー。」とほっとしたのです。
そんなことがあったのですが、これとは別に「思わぬ反響」もあり、私たちは大変おどろいています。それは「即身成仏したかった男性がミイラ化」などの言葉の影響なのか、この日以降、西生寺のこのホームページにアクセスする人の数が急激に増えたことです。どう考え� �も、この報道の影響しか原因は思い浮かびません。ま、大勢の方に「西生寺のサイト」を見ていただけることは、それはそれで大変にうれしいことなのですけどネ。。
それはそうと、今回の事件で私はちょっとばかり「知識が混乱」してしまいました。
この男性は「即身成仏したい」と言って部屋に籠もり、「ミイラ化」された姿で発見されたということなので無理もないのですが、テレビ局が即身仏(ミイラ仏)の画像を使いたいと思ったことや、こうして現在も当山のサイトに多くのアクセスがあるという情況からも、どうやら「即身成仏」と「即身仏」がごっちゃになってしまっているようなのです。
いや、そもそもこの男性が「即身成仏したい」と言って部屋にこもったその時点で解釈に間違いが生じていたといっ ても良のですが。
何が言いたいかと申しますと「即身成仏」と「即身仏」は言葉は良く似ていますが、実は全く関係がない、全く意味が違う言葉なのです。
と言いつつも「たしかに違うはずだけどどう違うんだっけ?忘れちゃったな。」と私自身もすっかりあやしい。
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うだる暑さで溶けかかった脳みそをフル回転させて、弘智法印即身仏さまをお守りする寺庭婦人の名にかけて、今回は「即身成仏」と「即身仏」の違いについてちょっと整理してみたいと思います。
まず「即身成仏」とは「真言宗」独自の思想で
「この身とこの心が、仏さまと同じ心を持って生きていること。」
「常に仏と一体であるということ。」
を意味します。
「即身成仏」について、長老(お父さん)にたずねたところ、本人いわく 「今の自分みたいな心境」を言うのだそうです。
長老:「わたしはね、これまでの80年の人生を精一杯生きてきた。山あり谷あり、色々とやりとげてきたから、もうこの世に未練はない。気持ちにも、病んでいる今の体にも未練はない。」
長老: 「この世に何の未練もなく、仏の境地に達している精神と肉体のことを即身成仏している、と言うのだろうなぁ。」
私:「じゃぁ、生きているからこそ、即身成仏していると言えるわけだね?」
私:「死ぬために、死後を考えて、即身成仏するわけじゃないんだよね?」
私:「つまり弘智さまが行った即身仏になるための修行を、即身成仏するとは言わないんだよね?」
私:「即身成仏したいからと言った足立区のミイラ化しちゃったおじいちゃんの解釈は間違っているってことだよね?」
長老:「そういうことだ。」
私:「うっほー(ちょっと違いがわかった喜びの声)。」
私:「じゃあさ、仏さまと同じ心をもって生きていることが即身成仏で、お父さんが即身成仏しているということは、同じお坊さ� ��の住職(夫)ももしかして即身成仏しているという事なの?」
長老:「どうかな。住職はまだ若いから、これから成しとげなければならない事がいっぱいあるから、今、即身成仏しているとはいえないなぁ。」
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住職:「なに言っているだ。若い人でも即身成仏の心境に到達している人はいるんだ。」
と反論。
その時は長老に押され気味だったのですが、後から住職の見解も聞くと「なるほど」と思えるものでしたので、どうぞ。
住職:「実は、全員が仏と同じ心を持っている、すなわち即身成仏しているのだけど、それに気付いていないだけさ。」
「それに気付こう!というのが真言宗の修行なんだなあ。気付くという事が大事なんだよ。わかるかな?」
私:「 確かに。何事も気付かないと意味がないかもだね。」
私:「ということは即身成仏するのは別にお坊さんに限ったことではないんだ。一般の在家の人もOKなんだ?」
住職:「もちろん。」
さて、一方の「即身仏」は、ご存知のように人間の姿そのままを「仏」としてお祀りしている「弘智法印即身仏」のような仏さまのことを言います。
「即身仏」となる事を決心した行者さんは、即身仏となるための「専門の厳しい修行」を行い、最後には生きたまま地下室にこもり、息絶える瞬間まであぐらをかいた姿勢のまま読経を続け「御入定」されます。お弟子さんや信者さんたちはずっと見守り続け、やがて遺言どおりに「即身仏」となった行者さんを地下から取り出して埋葬せずに「お祀り」をして、長い年月を何代に� �わたって信仰し、大切にお守りしてきました。
この「即身仏とはどういうモノか?」という説明とは別に「なぜ即身仏になろうと決心をしたのか?」という疑問がわきます。
これについては「弥勒信仰」に基づいた、ひとつの考え方としてこんなことが推測されます。
○生きているうちに「肉体と心が仏」になっても、つまり「即身成仏」しても、やがて肉体は滅んでしまう。
○肉体が滅んでしまえば、魂だけとなり、この世の無情から人々を救うことはできない。
○ 永遠に肉体と心を一体化させることが出来るとすれば、その唯一の方法は「即身仏」となることだろう。
○「即身仏」となり この世に生きつづければ、自分の姿を拝む者の心に飛び込んで、永久に人々を救うことができだろう。
というような心境になったのではないでしょうか。
真言宗「高野山」の奥の院には、現在でも「即身仏」となった「弘法大師さま」が御入定されています。もちろん御開帳は一切行われておらず、そっと手を合わせてお参りするのですが、「即身仏となられたお大師さま」にならって、真言宗では「即身仏」になろうとする行者さんが多かったともいわれています。
「即身成仏」と「即身仏」の違いがお分かりいただけましたでしょうか。
もしかしたらそんなにこだわる必要もなかったのかもしれませんが、やはり即身仏をお祀りしているお寺の住人としては「混同」を見過ごすわけにはいかず、この機会に自分自身� �ためにも整理してみました。
※画像左…「即身成仏」をしている長老さま
※画像右…「即身仏」の弘智さま
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